心開することを得つ(『大無量寿経」』)

心開することを得つ(『大無量寿経」』)

2013年9月19日木曜日

パート6

いざさらば 八十路(やそじ)時代
加州願生(がんしょう)舎 中野 郁博

 かつて「明治は遠くなりにけり」と言われたことがある。大正元年(1912)生れも今年は百一歳。
 「大正も遠くなりにけり」というべきか。私は大正13年1月生れの今年89歳。もうじき八十路とお別れ九十(ここのそ)路(じ)に入る。感慨なきにしもあらず。

 時には身辺整理をし、古い記録を整理したりする。小唄抄(こうたしょう)もその一つ。それは昭和38,年の大聖寺電報電話局片山津分室長のころに作った和綴じ本である。昭和38年と云えば今からちょうど五十年前、年配者には忘れられない38豪雪の年である。すべての陸上交通機関は数日間ストップ。

 北陸地方の勤務者たちは勤務先に泊まりこみする人が多かった。私もそのうちの一人。片山津は温泉地である。豪雪で旅館はガラ空き。宿泊には事欠かない。一週間ほど旅館に連日投宿、勤務先へ徒歩通勤した。小唄に手を染めたのはその時である。

 師匠は金沢市の小唄堀派の先生で月に一週間ほど片山津に出稽古される。滞在先はk医師宅。そこが稽古場でもあった。院長の奥様がたまたま同郷人。この人の強い勧めで小唄師匠に弟子入りすることになった。習い始めは「初雪(はつゆき)」。歌詞次のとおり。

 初雪に 降り込められて 向島(むこうじま)   二人が中に置炬燵(おきごたつ)  酒(ささ)の機嫌の爪弾きは好いた同士の差し向かい  嘘がまことか 浮世が実か  まことくらべの胸と胸
なんとも粋で優雅.月に一曲のペーかで稽古が進み、浴衣会(ゆかたかい)や新年会に参加して仲間とノドを競い有ったものだ。翌年は金沢の北陸電気通信局へ転勤。師匠が金沢住まいだから転勤後も師弟関係は続く。習い覚えた小唄は五十曲ほど。

 五十歳のとき福井県芦原町にある電報電話局長の事例を受けた。その地で浄土真宗養善寺の松田住職とり出会いが縁となって、図らずも真宗大谷派本山で得度(とくど)受式し仏道を歩む身となった。時に昭和51年、わたくし五十二歳、得度を受けるには「剃髪(ていはつ)」が最低条件。かりにも電電公社の現場長である。若干の躊躇はあったがあえて決断した。

 得度直後に坊主頭で現場長会議に出席し、当時の北陸電気通信局長から予期せぬ激励を受けた。当時の電電公社総裁が熱心な仏教帰依者であったことが原因らしい。その数年後に定年退職して現在に至る。以来四十星霜。回想はこれを一言で云えば時間の流れがゆっくりになったこと。これは今も変わらない。得度を契機に小唄の稽古は止めた。今では歌える小唄も少なくなった。しかし法座の気分転換に利用することもある。
その後、伝道月刊紙「願生(がんしょう)」を十年余り続けた。風変わりな記事もある。その中にサムエル・ウルマンの「青春」もある。次のとおり。

 青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくまし意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。ときには二〇歳の青年よりも六〇歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。 歳月き皮膚にしわを増やすが、熱情を失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這(は)い生信は芥(あくた)になる。

 六十歳であろうと十六際であろうと、人の胸には、驚異に魅(ひ)かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の欲望がある。人から神から、美しさ・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷にとざされるとき、二十歳であろうと人は老いる。 頭(こうべ)を高く上げ希望の波をとらえる限り、八十歳であろうと人は青春にして已(や)む。

初秋ある日の椿事
当家の茶の間と書斎の境にはかなり大きなガラス戸が二枚入っている。先日書棚の上のファイルを椅子を使って下ろそうとして椅子から降りるとき転倒して床上にドスンと尻餅をついた。その時、ガラス面に頭をしたたかに打ちつけた。ヨロヨロと起き上がったが左頭部に痛みを覚える。見ればガラス戸のガラスに大きな亀裂が縦横に走っているではないか。だがガラス板は割れても飛散しなかった。それは先年、身の回りのガラス戸に破砕予防工事(セロファン貼り付け)をしたのが功を奏したのだった。予防してなかったらあわや流血の惨事になるところだった。大袈裟にいうと命拾いをした感じ。

 思えば何回命拾いしたことか。人間、ことに老人は常に危険と隣り合わせてと思わなければならない。だからよくよく注意したいものだ。だがいくら注意しても不可抗力的ないし不可避的な場合もある。明治期における偉大な真宗教学者・清沢満之の言葉に「天命に安んじて人事を尽くす」とある。「人事を尽くして天命を待つ」とは言葉の順序が違うことに注目してほしい。さて今回も不慮の事故から身が守られた。感謝のほかになにがあろうか。あらためて「老いの青春」を謳歌したい気分がする。そして拙ブログ「老いの青春」作りに精出そうと思う。ではこれにて。次回は中沢敬治「はだしのゲン」。9月26日(木)更新の予定。

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