心開することを得つ(『大無量寿経」』)

心開することを得つ(『大無量寿経」』)

2013年12月5日木曜日

パート15

第2次大戦(大東亜戦争)の開戦記念日に思う
遠いその昔、a戦前派・b戦中派・c戦後派の呼称があり、少し遅れてd戦無派なる呼称も加わった。第2次大戦以前に成人した世代を「A」、戦争の最中に青年時代を過した世代を「B」、戦後に育った世代を「C」、次いで新憲法のもと平和希求時代以降に生れ育った世代をDと仮定しよう。今日「A」はほとんどいなくなり「B」「C」も少数派になった。今はD世代が過半数(70㌫以上)を占める。私も明くれば90歳。「B」世代の残党である。
さて連年使用する石川県民手帳の「こよみ」欄の8月15日に「終戦記念日」の語がある。これに対して12月8日には「針供養」あって「開戦記念日」がない。失礼ながら不可解である。なぜなら大東亜戦争勃発の事実はこれを銘記する必要があると思われるから。
終りに一言。「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目である」(岩波・永井清彦編訳「ヴアイツゼッカー演説集Ⅰ『荒れ野の四十年』」より)。

太平洋戦争(この項「広辞苑による)
第2次世界大戦のうち、主として東南アジア太平洋方面における日本とアメリカ・イギリス・オランダ・中国等の連合国しの戦争。十五年戦争の第三段階で、中国戦線をも含む。日中戦争の長期化と日本の南方進出が連合国との摩擦を深め、種々外交交渉が続けられたが、一九四一年一二月八日、日本のハワイ真珠湾攻撃によって開戦。戦争初期、日本軍は優勢であったが、四二年後半から連合軍が反攻に転じ、ミッドウェイ・ガダルカナル・サイパン・琉球島・沖縄本島等において日本軍は致命的打撃を受け、本土空襲、原子爆弾投下、ソ連参戦に及び、四五年八月一四日連合国のポツダム宣言を受諾、九月二日無条件降伏文書に調印。戦争中日本では大東亜戦争と公称。中国や東南アジアなどアジア諸国を戦域に含む戦争であったから、アジア太平洋戦争とも称。


「大東亜戦争」開戦の詔勅の読み下し文
天佑を保有し、万世一系の皇祚を践める大日本帝国天皇は、昭に忠誠勇武なる汝、有衆に示す。朕、茲に米国及び英国に対して戦を宣す。朕が陸海将兵は全力を奮って交戦に従事し、朕が百僚有司は精励職務を奉行し、朕が衆庶は各々其の本分を尽し、億兆一心にして国家の総力を挙げて、征戦の目的を達成するに遺算なからしめんことを期せよ。抑々、東亜の安定を確保し、以って世界の平和に寄与するは、丕顕なる皇祖考、丕承なる皇考の作述せる遠猷にして、朕が挙々措かざる所なり。而して列国との交誼を篤くし、万邦共栄の楽を偕にするは、之亦帝国が、常に国交の要義と為す所なり。今や、不幸にして米英両国と釁端を開くに至る。洵に已むを得ざるものあり。豈、朕が志ならんや。中華民国政府、帝国の真意を解せず、濫りに事を構えて東亜の平和を攪乱し、遂にに帝国をして干戈を執るに至らしめ、茲に四年有余を経たり。幸いに、国民政府、更新するあり。帝国は之と善隣の誼を結び、相提携するに至れるも、重慶に残敏する政権は、米英の庇蔭を恃みて、兄弟尚未だ牆に相鬩ぐを俊めず。米英両国は、残存政権を支援して、東亜の禍乱を助長し、平和の美名に匿れて、東洋制覇の非望を逞くせんとす。剰え与国を誘い、帝国の周辺に於て、武備を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有らゆる妨害を与へ、遂に経済断交を敢えてし、帝国の生存に重大なる脅威を加う。朕は、政府をして事態を平和の裡に回復せしめんとし、隠忍久しきに弥りたるも、彼は毫も交譲の精神なく、徒に時局の解決を遷延せしめて、此の間、却って益々経済上、軍事上の脅威を増大し、以って我を屈従せしめんとす。斯の如くにして推移せんか。東亜安定に関する帝国積年の努力は悉く水泡に帰し、帝国の存立亦、正に危殆に瀕せり。事既に此に至る。帝国は、今や自存自衛の為、蹶然起って、一切の障礙を破砕するの外なきなり。皇祖皇宗の神霊、上に在り。朕は、汝、有衆の忠誠勇武に信倚し、祖宗の遺業を恢弘し、速に禍根を芟除して、東亜永遠の平和を確立し、以って帝国の光栄を保全せんことを期す。御名御璽 昭和十六年十二月八日          (拙了解要約)―切歯扼腕・意気衝天

同上終戦の詔勅の読み下し文
 朕深く世界の体勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告ぐ。朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し、其の共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。抑々帝国臣民の康寧を図り万邦共栄の楽を偕にするは皇祖皇宗の遺範にして朕の挙々措かざる所、曩に
米英二国に宣戦せる所以も亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て、他国の主権を排し領土を侵すが如きは固より朕が志にあらず。然るに交戦己に四歳を閲し朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の精励、朕が一億衆庶の奉公、各々最善を尽せるに拘らず、戦局必ずしも好転せず。世界の大勢亦我に利あらず、加之敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。而も尚交戦を継続せんか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延べて人類の文明をも破却すべし。 斯のごとくんば朕何を以てか億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神霊に謝せんや。是れ朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せざるを得ず。帝国臣民にして戦陣に死し職域に殉じ非命に斃れたる者及び其の遺族に想いを致せば五内為に裂く。且戦傷を負い災禍を蒙り家業を失いたる者の厚生に至りては朕の深く軫念する所なり。惟うに今後帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず 爾臣民の衷情も朕善く之を知る。然れども朕は時運の趨く所、耐え難きを耐え忍び難きを忍び以て万世の為に太平を開かんと欲す。朕は茲に国体を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し常に爾臣民と共に在り。若し夫れ情に激する所濫りに事端を滋くし、或は同胞排擠互に時局を乱り、為に大道を誤り信義を世界に失うが如きは朕最も之を戒む。宜しく挙国一家子孫相伝え確く神州不滅を信じ任重くして道遠きを念い総力を将来の建設に傾け道義を篤くし志操を鞏くし誓って国体の精華を発揚し世界の進運に後れざらんことを期すべし。爾臣民其れ克く朕が意を体せよ。御名御璽 昭和二十年八月十四日
              (拙了解要約)―四面楚歌・満身創痍――






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