心開することを得つ(『大無量寿経」』)

心開することを得つ(『大無量寿経」』)

2013年12月12日木曜日

パート16

十五年戦争前期の戦時中の歌「満洲想えば」
 年寄りの常として無意識のうちに昔の歌を口ずさんだりする。「満洲想えば」もその一つ。満洲事変(下記)に夫を兵隊に取られ満洲の戦地へ送った若妻の歌。歌詞は次のとおり。
そこはかとなく反戦ムードが漂うのは満洲事変(事変という名の戦争)が長引くので戦争の前途に不安を覚えていた当時の庶民の心情を投影するかのようである。


娯楽に乏しい時代のこととて流行歌が幅をきかせた。老いも若きも幼きも流行歌に飛びついた。小学生だった私は無心に歌っていた。古い記憶が突然息を吹き返し歌詞とメロディが口をついて出る。余り愉快ではないが仕方がない。苦が笑いしながら歌っている。終りに「満洲事変」について紹介したい。(以下「広辞苑」から)
 満洲事変 一九三一年九月一一日、奉天(今の瀋陽)北方の柳条湖の鉄道爆破事件を契機とする日本の中国東北侵略戦争。十五年戦争の第一段階。翌三二年には満州国を樹立。華北分断工作を経て、日中戦争へと発展。→柳条湖事件。柳条湖事件 柳条湖は中国遼寧省瀋陽(旧称奉天)北方の地名。柳条湖事件とは満洲事変の発端となった事件。一九三一年九月十八日夜、関東軍は参謀石原完爾中佐らの謀略計画により柳条湖で満鉄線路を爆破し、中国軍の仕業と偽り攻撃を開始。なお事件の地名を柳条溝とするのは誤り.楽譜は下記のとおり。





こぼれ話 昭和初期のプロ女性流行歌手には芸者経験の人が多かった。たとえば小唄勝太郎、市丸、赤坂小梅、美ち奴などなど。今般の音丸さんは芸者経験のない芸者風歌手の一人であった。「船頭可愛いや」「下田夜曲」「祇園小唄」が有名。

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