心開することを得つ(『大無量寿経」』)

心開することを得つ(『大無量寿経」』)

2013年10月31日木曜日

パート10



 今回はここまで。次回は「既往10年間における『年齢階層別』自死者総数」とする予定です。

2013年10月24日木曜日

パート9

やなせたかしさん死去 94歳「アンパンマン」漫画家
10月17日の新聞記事から

「アンパンマン」シリーズなどで知られる漫画家やなせたかし(本名・柳瀬
蒿(たかし)さん)が十三日、心不全のため死去した。今年八月下旬から体調を崩し、入院していた。(中略)「アンパンマン」出版社レーベル館によると、二年ほど前に膀胱(ぼうこう)がんを患い、肝臓にも転移、たびたび検査入院などをしていた。十二日午後十時ごろには、スタッフと会話。翌十三日未明、病院から「心電図が乱れている」と連絡があり、スタッフが駆けつけたが、ほどなく息をひきとった、と。別紙面「評伝」見出しに「憎悪すべきは戦争。自らの正義感、託す」とあり、記事終り部分に、自らの人生を振り返った言葉も印象的だ。「アンパンマンがアニメ化され、人気ガ出た時、私は六十歳を過ぎていた。人生は終りの方が意外と面白い」と。飄々とした中にこの人の人生の哀歓が滲む。終りを全うした人として評価したい。
さて「アンパンマン」には思い出がある。それは「アンパンマンのマーチ」のこと。1902(平成4)年に作成の拙聞法紙に掲載した佐々木教悟先生の講演「本願醍醐(だいご)の妙薬」聞書(ききがき)の合間に挿入した「随想」のこと。関係ページを抜粋して紹介すれば下記のとおり。

1992(平成4)年度 加州願生舎報恩講施本 大谷大学名誉
教授 佐々木教悟師「本願醍醐の妙薬」(聞き書き)から抜粋

私の場合
「なんの ために うまれて」 答え「人間成就(じょうじゅ)(往生成仏)」
「なにを して いきるのか」 答え「称名(しょうみょう)念仏(反戦平和)」

今回はここまで。次回(10/31起)は「日本における高齢者の自死」について。


2013年10月17日木曜日

パート8

往年の拙聞法紙に掲載の『光徳寺訪問記』から
①光徳時寺訪問
10月は旅行の季節。先に有志の皆さんと一緒に富山県福光町にある版画家・棟方志功ゆかりの真宗大谷派光徳寺を訪ねて多数の名作を拝見した。傑作『華厳の松』は二間半、襖四枚続き六尺の大きさ。棟方志功の旺盛な制作意欲が画面に横溢している。『女人観世音版画柵』も良かった。
②「な言(い)いそ明日と」
この言葉は光徳寺庫裏の玄関に掛けられた色紙に書かれたいた。承れば柳宗悦の「心偈」七十二偈の中の一句で本人の自作とのこと。作者の心のこもった言葉に違いない。柳宗悦といえば有名な民芸運動家らしいが詳細は知らない。だが何と含蓄ある言葉ではないだろうか。
③「明日ありと思う心の仇桜」
親鸞聖人作と伝えられる和歌に「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」がある。子供のころ父がよく聞かせてくれた。先の「な言いそ明日と」は「明日があると言ってはならない」の意味にとれる。とすれば上の和歌の心と一緒である。人は生きてきたように死んでいく。大事なのは「今日」一日である。くだんの色紙を前にして同行の人らとうなづき合った。(以上)

それから十星霜余り経過した今、なぜかしら「な言いそ明日と」に心引かれて図書館勤務の知人に相談したところ、柳宗悦の著書「南無阿弥陀仏」付「心偈」(岩波文庫)の蔵本ありとのこと。さっそく拝借して一読した。その後購入。

問題の「な言いそ明日と」は「心偈」第三十三章の題名である。具体的は下記のとおり。なお知人は棟方志功の作品写真集についても教えてくださったが、その中から今回は「女人観世音版画柵」を抽出してご紹介する。(末尾掲載)。

柳 宗悦 (やなぎ むねよし)
民芸研究家・宗教哲学者。東京生れ。東大卒。雑誌「白樺」創刊に関わる。のち文芸運動を提唱。日本民芸館を設立。(一八八九~一九六一)
岩波文庫「南無阿弥陀仏」の帯紙から
南無阿弥陀仏という六字の名号が意味するものを説き明かしつつ、浄土思想・他力道を民芸美学の基礎として把え直した書。なかでも、日本における浄土思想の系譜を法然・親鸞・一遍とたどり、一遍上人をその到達点として歴史的に位置づけた点は注目される。柳宗悦晩年のさいこ最高傑作であり、格好の仏教入門書である。(解説・今井雅晴)

柳(やなぎ) 宗悦(むねよし)著「南無阿弥陀仏」付「心偈」から抜粋。
三十三、ナ 云ヒソ 明日(あす)ト
「云ふ勿(なか)れ、明日と」ということである。「今ヨリナキニ」を裏から、異なる言葉で述べたのである。今日の仕事は、今日いっぱいの仕事にすべきである。昨日も明日もない。今日が仕事全体となるべきである。聖書にも「明日の事を想い煩(わずろ)う勿れ、今日のことは今日にて足れり」というが、実は今日この時をおいて、生活の内容はないわけである。「今日にて足れり」というが、今日が全体、全体が今日に煮つまってこそ、生活に充実があるのである。孔子(こうし)は「晨(あした)に道を聞かば、夕に死すとも可なり」といったというが、深い体験の言葉だといえよう。今に活くれば、死も死ではなくなる。死への恐れは、明日を予想するからである。明日の有無がどうでもよくなるのは、今日この時に全生命があるからである。即今に活くる者には、明日は圧力を持たない。だから晨に道を聞くことが出来れば、その夕に死んでも、心に乱れはない。安心(あんじん)とは、今日を把握することである。それ以外にはあるまい。
語註 
安心(あんじん) ①信仰により心を一所にとどめて不動であること。②弥陀の救いを信じて一心に極楽往生を願う心。(広辞苑)。
心に安らぎと満足があたえられること。また、安らぎをあたえられた心の状態。(真宗新辞典)

2013年10月10日木曜日

パート7

漫画本「はだしのゲン」について
この本を地元の図書館で閲覧できることを知り、さっそく前半の第1巻から第5巻を拝借して読み、各巻から1話ずつ選択抜粋しそれぞれにネーミングして5編を仮製本した。次いで後半の第6巻から第10巻を拝借し同一手法により5編を仮製本した。こうして10編の「はだしのゲン」自家抜粋編が一応完成した。(抜粋リスト後記のとおり)。なにを隠そう動機があった。それは北陸中日新聞の記事で下記のとおり。



かの新聞記事には続きがある。それは次の記事のとおり。




そこに「過激な描写」とある。代表的には第10巻20ページを指すと思われる。(末尾に掲載)。そしてそれは「戦争の残虐」「戦場の狂気」を表わすものとしてぜひ必要ではなかったか。さて今回の松江市教委の事案は「ボタンの掛け違い」と思われる。そしてこのトラブルのお陰で漫画本「はたしのゲン」が世間に広く周知されたことはむしろ慶事(けいじ)であった。私はこの本を高く評価する。私は自家製「はだしのゲン巻別特集」を書架に掲げて私自身のための「反原爆」「反戦」の原典として愛用したいと思う。

汐文社刊「はだしのゲン」(全10巻)の巻別抜粋

第一巻から「非国民と罵(ののし)られたゲンの父の怒りの爆発」
第二巻から「原爆投下直後のゲンの家族の惨状」
第三巻から「昭和二十年八八月十五日日 敗戦の日」
第四巻から「『こんな女にだれがした』姉の慟哭(どうこく)」
第五巻から「昭和二十二年十二月 広島市」
第六巻から「街頭でゲンらがアメちゃん(進駐軍の兵隊)に被爆者の頭蓋骨を売りつける」
第七巻から「登場人物(同居の老人)の原発反対のための自伝小説
『夏のおわり』をゲンが仲間らに読み聞かせする場面」
第八巻から「ゲンと相原の『戦争』に関するものすごい論争」
第九巻から「原爆症で急死した夏江ねえちゃんの遺体処理と命日
を機縁とするコメント」
第十巻から「波川中学校の卒業式の始終」

注 いずれも各巻から1話ずつ任意に適宜選択した。原画ペー
ジ数については原則としてⅠⅠページ止めとした。


 
「はだしのゲン」第十巻から